こんにちは。永田です!
棒高跳をやるにあたり、多くの人がぶち当たるもの。
「踏み切れない病」
このテーマを扱うには本当に腰が重い。
ただ棒高跳従事者として避けてはいけないとも思っていました。
あ〜やだな〜。
ん〜〜…書きましょう!!! 書くか書かないかだったら書いたほうが良いんだよ。
なぜ書きたくないか…踏み切れない病の対策にコレといった正解がない。
それを踏まえた上で読んでいただきたい。
ただ全く踏み切れなかった選手を復活させた実績、永田ワクチンがあるのも事実。
一つの成功ケースとしてお伝えしようと思います。
スポンサーリンク
目次
始まり
始まりは、事故から。
大体の選手はここから始まりますが、全てが事故とは限らないと思います。
ボックスの手前にポールが引っかかって右手がはずれ、マネキンのように吹っ飛んだり。
ポールが折れてセルフバックドロップをかましたり。
僕の選手の始まりはボックスの手前に引っかかり右手がはずれマネキンになったことだった。
4年前くらいだったと思います。
そこから練習では踏み切れなくなるが、試合では結果を残す。
この時に僕はすでに勘づいていました。
あぁ踏み切れないんだな…症状出てるな。
症状としては
・普段の練習中に踏み切れない
・試合の足合わせも踏み切れない
とにかく踏み切れない。
ただ、本人が踏み切れない病を自覚できないことが起こっているから厄介だ。
それは。
・練習の最後の方には踏み切れて形になる
・試合も始まれば踏み切れて結果が残る
要は結果オーライとなってしまうため多くの選手やコーチからは、踏み切れなかったことを問題視されなくなる。
跳べたから良いじゃん! となってしまう。
しかし、そんな状態は崩壊の始まりだ。
空中動作の練習ができないため練習の質は上がらない
踏み切る時間もどんどん遅くなる
結果的に最後まで踏み切れない
試合の結果も悪くなる
自己ベストは永遠に出ない
ここまでなっても、過去にへばり付き今起きている現象を受け入れることができない。
踏み切れれば跳べるんです。
こんなはずじゃないんです。
ちょっと感覚が合わないだけです。
僕は選手が今を受け入れられる状況じゃないと判断し、放置した。
タイミング的に僕の環境が変わった事もあるのと、選手自身が過去を生きているのなら一回本気で失敗した方が良いと思ったから。
コーチとして選手が本当に崩壊するのを待った。
3年前くらいです。
ある意味博打だし、永田が潰したと言われてしまうかもしれないが、そこで本人が気が付かなければそこまでも選手だし、僕の元から離れるならばそれも選手が決める一つの選択肢だし。
そして遂に崩壊。
「永田さん、指導をお願いします。」
待ってました。
崩壊から創造
ここからが僕のコーチとしての仕事であったが、選手との会話の中にまだプライドが邪魔をしていて過去に立ち返ろうとする言葉もちらほらある中で、崩壊した (させた?)からには寄り添うことに僕は徹した。
前に進めない言葉「Dの意思」まだの方は是非
そして崩壊したにも関わらずまだ自分は踏み切れると思っている。
そこでまず僕は踏み切れないことを自覚させなくてはいけない。
「じゃあ助走を6歩で曲げの練習しよう。超余裕のポールで良いから」(お前はコレすらできねぇんだぞ)と思いながら笑
「6歩ですか? 余裕です。」
「じゃあそれで練習を始めよう」(踏み切れるもんなら踏み切ってみろ)と思いながら笑
10本くらいやっても踏み切れない。
「なんで踏み切らないの?」(本当は答え分かってるけどな)と思いながら笑
「…わかりません」
「そう、踏み切れないんだよ。余裕とかじゃないの。踏み切るのが怖いんじゃないの。お前ポール曲げるのが怖いの。だって6歩のポールワークはできるのに、曲げようと思ったらできないんだもん。6歩だからとか12歩だからとかじゃない。曲げるのが怖いの。これを理解して受け入れないと多分元のステージには戻れない」
よく踏み切れない選手に短助走や中助走を勧めたりするけど、僕は踏み切れない病は助走の歩数が原因じゃないことは、過去に身を持って経験している。
少ない歩数ならいける。そんな単純な話ではない。
コレは他に言い表せない。
無理矢理例えるなら、跳び箱である一定の高さになると飛び出せず跳び箱にぶつかるように止まってしまったり、手をついただけで踏み出せない現象が近いのではないかと思います。
これは心の問題で助走技術の問題じゃない。
本来の助走で踏み切れないことを、短くしたら解決しました。とかだったら誰も踏み切れない病で苦労していないんです。
多くの人は踏み切るのが怖いんじゃない。
ポールを曲げるのが怖い。だと僕は思っています。
曲げようとしたからボックスの手前に引っかかってマネキンになった。
曲げようとしたからポールが折れてセルフバックドロップをかました。
曲げにいった結果ポールが立たずに地面に落下してしまった。
踏み切ろうとしたからではない。
曲げようとしたから、さまざまな恐怖が脳裏によぎり現象として踏み切れない。
とういことで自分がいわゆるイップスなんだと気付かせることから始めました。
ここでやってはいけないのは。
「いや6歩なんだから踏み切れよ」
「余裕だろ。ビビるな」
とかじゃない。
目的は踏み切ることではない。
目的は踏み切れないことを知る。
それを自覚することが最初のステージ。
ここで踏み切ることを目的にしてしまうと結果オーライになってしまうから。
6歩で踏み切るまでに時間がかかりましたが、まず曲げるという行為に成功体験を積み重ねなくてはいけないので、形になったからといって次には進ませません。
6歩を10本くらいやった後
「オッケー。8歩に伸ばそう。同じポールで良いから行けるでしょ。」(多分無理だろうな)と思いながら笑
「わかりました」
案の定踏み切るまで時間がかかりました。
「踏み切れません」
「お。良いねぇ。自分で踏み切れないって言えるようになったことは、前に進む準備ができてるよ。じゃあどうしようか」
ここからの対策は出来なかったら一つ前のステージに戻る。
出来たら次のステージに進む。
8歩が出来なかったら6歩に戻って◯を積む。
そこで8歩をがむしゃらにやると、無駄に×がつき、コレまた目的が踏み切ることになってしまう。
ここで僕が狙っている目的は、◯を積むこと。
だからいかに失敗(駆け抜けること)をさせないか。
だから踏み切らないことに怒ってもいけないし、出来ることを考える。
そして最終的に体で表現するのは選手なわけで、困難や恐怖に立ち向かっているのは選手なわけで、そこは敬意を払わなくてはいけないと思っています。
ここまで一貫して僕が気をつけていたことは、目的を踏み切ることにしていないことです。
コレをかなり大事にしていました。
長期的な問題になると僕はそれなりに理解していました。
このお話が2年半くらい前のお話です。
翌年とかすぐに結果は出ないことは分かっていました。
本当に選手がどん底だった時ですね。
踏み切れない病をテーマにするととんでもなくなることに気がついたので、続編として書いていこうと思います。
次回はどのように元の助走に戻ったのかを書こうと思います。
ではまた次回っ
Twitterフォローはこちら
スポンサーリンク