こんにちは。永田です!
コーチをしていると見えてくるものがある。
それは棒高跳に対して恐怖心を抱いている選手の心情。
あぁ、怖いんだな。
これは駆け抜けるだろうな。
おそらくどのスポーツにも存在する恐怖心。
物理的に事故を連想してしまうもの。
失敗できないというプレッシャー。
それは客観的に見ていると分かる。恐怖心を抱えている選手は意図せずとも恐怖心で溢れかえっていてそれがオーラとして出ている。
僕のアスリートでありコーチとしての経験からすると、恐怖心がある時点で伸び悩む。
つまり競技人生において、いかに恐怖を遠ざけるかが大事だと思ってる。
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目次
ポールは乗り物
恐怖を感じる時はいつだろうか。
僕の取り組んでいる棒高跳で上げるなら
ポールを変えたとき
握りを上げたとき
風が強いとき
それはやってみた現象がどうなるか分からないから怖い。
要は失敗した時に事故になるのではないかというとき。
そしてそれが続けば駆け抜けに繋がりクセになる。
ただ指導をしていると使用しているポールに恐怖心を抱きながら自分を奮い立たせ競技をしている選手が多いなと感じる。
それは果たして良いことなのか? 僕ははっきり言って効率的ではないと考える。
それは出来るか出来ないか分かりもしない運や天賦に任せたギャンブルに近い。
つまり成功の確率が分からない。
そういう選手の根本には、このポールじゃないとこの高さは跳べない。とかこの握りじゃないとこの高さは跳べないとか。固執してしまっているように思う。
後は過去に事故を起こした選手。
もしくは変えた先のポールでの成功体験が少ない選手。
ただ問いたいことは。
本当にそのポールと握りじゃないとベストは跳べないのか?
そんなことはないだろう。
ポールは道具であり乗り物である。
コントロール出来ない乗り物に乗るのは危険である。
ドライバーが未熟ならF1だってコースアウトして大破する。
それが怖い。ならばコースアウトせずに走り切れるマシンに乗った方が結果に結びつくだろう。
ただ、固執してしまうと、このマシンでないと勝てないとなる。
無理矢理運転して危なっかしい運転で結果を追い求める。
そして何かの拍子に大破する。
それと同じく恐怖心を感じ奮い立たせてまで使うポールは精神衛生上良くない。
逆に力みを生んだり繊細さを欠いて更に成功率を減らしてしまうと思う。
だとするならば安心感のあるポールで精神的に安定した試技を試みるべきだ。
その中で現象として変えなくてはならない場合になれば変えたら良い。
ポールと戦う必要は全くない。
ただ、そういった者の心理としては僕も経験しているため理解はできる。
いつもこのポールでできているから
前回もこれでできているから
このポールを上手く使えれば跳べるから
なんか負けた気がするから
など、ポールに固執してしまう心理はいくらでもあげられる。
ただ、この心理に陥ると目的が変わってしまう。
バーを越えるという目的からそのポールを使うになってしまう。
練習において時に必要なことかもしれないが、棒高跳の本質はバーを越えること。
ポールを使うことではない。
そのポールを使うは手段に過ぎない。
その目的を見失いポールと戦い始めたら失敗が積み重なり恐怖心を植え付けられ地獄が始まる。
そして地獄の釜の底が「踏み切れない病」だ。
もちろんポールを変える、握りを上げる行為は競技力を上げるために必要な過程だ。
無理して上げる必要はない。上げざるを得ない状況で上げる。
そしてそれをたくさん乗り越えた選手が結果として日本のトップ舞台に立って己の能力バトルをしている。
奮い立つ者と臆する者
今でも僕は競技をしている中で先に挙げたことを見失わぬように取り組んでいる。
そして僕にもポールを変えることに恐怖心はある。
できれば変えたくないが変えないといけない状況にどうしたって直面する。
え。さっきのポールより随分太くね?
え。次のポールこんなに重いの?
もう一回同じのでやって良い? 笑
なんてことを抜かしながらやっている。
結局いつだって自分を奮い立たせて使うのだが…。
もちろん使える自信も備えてのことなので無謀なチャレンジではない。
そうだ。その時々に奮い立てるのか臆するのかで道は変わる。
出典:福本伸行「賭博目録時カイジ」より
土壇場で「臆してしまう者」と「奮い立つ者」の二極化だ。
10年間の大学生を入れ替わり立ち替わり見てきたが紛れもなくこの2つに分かれる。
残酷かもしれないが事実。
困難に面した時にこの二人では明らかに結果が変わってくる。
「メンタル」といったらとても簡単に済まされてしまう。
「ストレス」と同じくらい「メンタル」なんて便利な言葉だと思っている。
そうではない。
多少なりとも影響はあるかもしれないが、そんな簡単に「メンタル」で済ましてしまうのは僕が嫌だってだけなので。
話を戻しましょう。
直面した困難を何個も越えていった選手は確実に強くなる。
そこで越えられない選手は足踏みをしてしまう。
大学4年間というタイムリミットでこの困難に奮い立ち、越え続けた者がトップへの階段を上がっていっている。
それは高校生や中学生だって同じこと。3年間でどれだけ超えることが出来るのか。
マリオだって1−1がクリアできれば1−2に進める。
しかし1−1をクリア出来なければ永遠に1−1なのである。
酷いかもしれないがクリアする他1−2に進む方法はない。
諦めたらそこでおしまい。
そしていくらコーチや仲間に励まされようと、越えなくてはならないのは自分だ。
他の誰でもない。
最後に
もちろん競技は競争だけが全てではない。
楽しくできれば良いや! の人だっている。
ただ、そーゆー人が強いのが皮肉なもんだ。
純粋に棒高跳を楽しいと思っているということは、人よりも恐怖を感じる閾値が高い可能性がある。
ただ冒頭に述べたように恐怖心に駆られると踏み切れない病になりどんなに強い選手でも弱小化してしまう。
ということは競技力向上のポイントとして恐怖心というものの排除こそ優先するべきことである。
それには周りのコーチや仲間の存在や練習環境が必要不可欠であり、コーチはここにも目を向けるべきだと僕は考える。
地獄の釜の底に落ちたら攀じ登るのに平気で2年3年かかることを僕は知っている。
だとしたらそこに落とさないようにサポートしなければならない。
え。永田さんポール柔らかい? 変えた方が良い? いやいや、そんなことないでしょう。
ではまた次回っ
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