#6 「でも」「だって」「だけど」で何が変わるのか

こんにちは。永田です。

今日はつい言ってしまう言葉。

でも…」「だって…」「だけど…」この3つが競技において、どのような影響を及ぼすのかコーチの立場から書いていきたいと思います。

 

まずこの言葉達、どの様な局面で出てくるかと言うと、僕の場合は選手自身が上手くいっていない時やビジョンが不明確な時に出てきました。

他の要因としては、選手とコーチの信頼関係もまだ十分に構築できていなかったのかもしれません。

 

この様な状態になるとコーチの言葉は届きにくく全然前に進もうとしてくれません。

この事案が発生すると抜け出すのに時間がかかる上に下手すると復調できなくなる可能性もあります。

 

ではどの様にして向き合ったのか。

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目次

でも、だって、だけどはDの意思

まず選手の発する3つの言葉に僕は悩まされたので皮肉を踏まえDの意思と呼んでいます笑

漫画ワンピースに出てくるDの意思は物語のキーになる存在だと思いますが、僕の言うDの意思はそんなカッコいい物ではありません笑

出典:尾田栄一郎「ワンピース」より

何故か

 

この後に続く言葉がとにかく厄介でアスリートならではとも言うべきか。

 

でもベストを出した時〜でした。

だってベストを出した時とは違います。

だけどベストが出た時よりはダメだと思います

 

お分かり頂けたでしょうか…ベストが出た時と比べてしまう。

何が悪いことなの?と思うかもしれませんがこの考え方が沼なんです。

 

ベストを出したときはいつですか?

過去ですよね?

上手くいっていないのはいつですか?

ですよね。

 

そうなんです。このDの意思は今の上手くいっていない現実と向き合っていないんです。

 

この過去と比べてしまう選手と、今の状況を見ろよのコーチは話がとにかく噛み合いません。

お父さん昔は運動部だったんだ!と言って子どもの運動会で転ぶお父さんの何と多いことか…

(もちろん言いたい気持ちは分かる)

 

どんなに苦しい時期でもベスト更新をとにかく狙っている選手にとって比較は常にベスト記録になってしまう。

なので選手は遠くの後ろの光を指差し、あの時はこうだった。あの時はどうだった。あの時はああだったなど前を向けなくなってしまう。

 

後ろでキラッと光っているものが気になってしょうがないんです。

 


成功体験を積み重ねる

では選手の中で何が起きているのか、当時考えを巡らせてどう向き合ったのか。

まずこの状況は選手自身が結果が出ず暗闇のトンネルの中にいると言うこと。

つまり失敗が積み重なってしまっていると言うことです。

これ以上失敗をするのが怖いと言う深層心理が働いているのではと考えました。

 

ですので僕は2点の言葉を伝え続けました。

 

①失敗しても良いんだよ。

②出来ることに目を向けよう。

 

言い換えると出来ないことは出来ない。と認めることと、出来たことを認めること。

 


①失敗しても良いんだよ。

アスリートに限らず、僕も含めて人間は失敗を恐れてしまう気持ちはありますよね。

失敗したくないから踏み出せない。背中を押されても踏みとどまってしまう。

 

僕も競技者の時、上手くいかないことがたくさんあり、これ以上失敗したくない。

でも、だけど、だってを連発していた時期はあります。

更に決まったコーチはいなかったので誰の言葉も信じることが出来なかった

自分だけは自分を立てておかないと崩壊する

 

競技成績が良い時はスポンジの様に人の言葉を吸収しようと耳を傾けるのに、成績が悪い時は耳を塞ぐ。

良くなかったなぁ。と今では思えるけど、当時はそんなことには気が付きませんでした。

 

そんな気持ちが分かったからこそ失敗しても良いんだよ。と失敗を全面で許容すること。

自己肯定力も落ちている中、コーチからも見捨てられたら地獄ですよ。

 

失敗したって良い。何が上手くいかない?じゃあどうしよう。コレは出来る?

 

など出来ることにフォーカスさせ小さくても成功体験をさせることに注力しました。

 


②出来ることに目を向けよう

 

競技の感覚が崩れている時は、当たり前に出来ていたことができなくなります

 

ゲームではそんな事はあまり起きませんね。

レベルがめちゃくちゃ高い勇者が序盤のモンスターにやられる事はありません

それがアスリートでは起きてしまう。

 

イージーだったことがクリア出来ない。

コレは苦しい。苦しいけど認めることが大きな一歩です。

「オレはスライムすら倒せなくなってる。こんなに装備も揃っているのに…怖い…村に帰ろう…」

勇者にこんな事は起きません。この気持ちは勇者には分からないでしょう…。

 

当たり前だったことが少しづつ出来る様になると次は◯を✖︎と判断する様になります。

どう言うことか。

出来たのに、出来ていないことに引っ張られてしまう

今のはここが良くない。あれが良くない。

 

例えばマリオとかでもクリア出来たステージを何故か極めようとしますよね。

何秒以内にクリアする。とかキノコは取らない。とかの縛りプレイ。

で、達成できなかったらプレイヤーの自分の中では失敗

 

でもマリオはそんな事知らずに画面内でクリアした事を毎回喜んでいます

ようは形はどうあれクリアしたんだから現段階では◯で良いんです。

でないとまた暗闇に逆戻りです。

 

実際の会話でも

永田:今のは出来たし良かったんじゃない?

選手:でも今のはここが。

永田:そうだね…けどさクリアしたから大まかには出来てるよ。

 

永田:おぉ!今のも出来てるじゃない。

選手:だけどさっきよりも良くはないです。

永田:さっきよりかはね…クリアしてるけどね。

 

永田:良いじゃん!出来てる出来てる。

選手:でもなーんか気持ち悪いんですよねー。

永田:出来てるから◯で良いんだよーーーーーーーーーーー‼︎!! ◯を認めねぇかい‼︎‼︎

 

とこんな感じで◯と言う事実を自分ルールにより✖︎にねじ曲げようとします

より良くしたい気持ちは分かります。

 

それは後ろのキラッとし光っている物を知っているから。

ただ完璧を求めたら際限なくなります。

現段階でそれは「また出来ないを繰り返す暗闇に戻る行為です。

 

◯を◯としないと全てが✖︎になってしまう。

こんなに苦しいことがあるでしょうか。

毎回ドラクエやマリオみたいにクリアしたらピルリ〜ンみたいな良い感じの音楽が流れたり、盛大に花火でも上がれば良いのにとも思っています。

 

だからそれをコーチはマリオや勇者みたいにプレイヤーに◯を出すことで選手は自己肯定感と成功体験を積み重ね、明確な改善点に気付き今の課題と向き合えるのではないかと思っています。

 

◯が増えてきたら少しづつ、クリボーの踏み方が悪い。とかそこは、ガンガンいこうぜ!でしょと具体的に◯を◎にし最終的に花丸にしていければ良いのではないでしょうか。

 


まとめ

Dの意思は深層心理に

これ以上失敗したくない。

失敗したら誰かに卑下される。

自分で自分を立てないと崩壊してしまう。

 

この状況の時に僕の向き合い方は。

失敗を許容する。

出来る手段を探す。

成功は形がどうあれ◯!と言う。

 

今回は長くなりましたが、僕の場合はこの向き合い方で選手は少しづつ前を向き次の光を求め進み始めました

 

ではまた次回!

 

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