こんにちは。永田です!
イノシシとウサギは「四つ足」か? ということで紛れもなく「四つ足」だと僕も思う。
二足歩行のイノシシ?
出典:吾峠呼世晴「鬼滅の刃」より
まぁ彼はおいといて。
このような枠組みという、レッテルって皆さんどう思いますか?
僕は貼られるのが嫌だから人に貼らないように心がけています。
中でも「都会っ子」と言われた時、皮肉にしか聞こえずムッとしたこともあります。
ただ、その貼られたレッテルがどういう意図で言われたかを理解しないと基本的にはムカつきます。
逆の立場で考えれば、僕に「田舎者」と言われるようなもんなんだから。
全て逆のレッテルを貼り返してやりたいわ。と思う気持ちにそっと蓋をしています笑
みんなもそんな経験はあるのではないでしょうか?
基本的にレッテルというのはどんなに良い言葉に聞こえても本人は心地よくないのではないかと僕は思います。
・現代っ子
・外国人
・ベジタリアン
・一人っ子
・バンドマン
・ゆとり
などなど。
他にもたくさんのレッテルたちがあり、その言葉が時に人を傷つけているとも思います。
ですが本を読んで、人が「枠組み」を作るのは都合よく解釈する為にあるのか。となんか納得してことがあったので共有したいと思います。
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目次
イノシシとウサギ
これは1500年前の話ですが、仏教が日本に伝えられた時期の話です。
急に日本史? となるけど人間の考えてることは1500年前と一緒だと気付かされた内容です。
仏教と同時に「四つ足」の動物を食べることを禁じる習慣も持ち込まれたのです。
当時特定の動物、イノシシとウサギを好んで食べていた日本人はそれらは「四つ足」なので食べられなくなってしましました。
さてこの危機を当時の日本人はどのように回避したでしょーか? というのが今回の問題です。
ちなみに禁じる習慣があるにもかかわらず、当時の日本人は引き続き「四つ足」のイノシシもウサギも食べています。
シンキングタイムです。
チッ
チッ
チッ
チッ
チッ
チッ
ターイムアップ。
正解はイノシシは「クジラの仲間」に分類されウサギは「鳥類」に分類されることとなり「四つ足」という枠組みから外れました。
よって引き続き日本人はイノシシもウサギも美味しく食べることができたのです。
めでたしめでたし! チャンチャン♪
…正解者は0ですね笑
…マジで意味不明な解釈だよな。
みんな今、納得してる? してないよね笑
出典:藤子・F・不二雄「ドラえもん」より
僕も納得するまで読み返したけど一向に納得できなかった笑
都合の良い解釈
みんなもやもやしてるだろうから解説をしていきます。
まずイノシシ。
クジラっぽい味がするから「クジラの仲間」にしよう!
賛成ー!
次にウサギ。
うさぎの耳は羽に見えるから「鳥類」だ!
賛成ー!
以上です。
解説の余地がありません…。
もし僕の認識違いであれば、補足としてコメントで修正いただけると嬉しいです。
この2つの決議で、イノシシもウサギも食べ続けることができました。
皆さんはどう感じますか?
僕の経験から意見を述べるのであれば。
都合が悪くなると良いように解釈して抜け道を探すということですね。
でも当時の食に関しては今よりも生命と隣り合わせだし、食べられるものが限られていただろうからその解釈は必要だったかもしれません。
しかしどの時代にも「枠組み」という都合の良い解釈は存在する。
例えば、君はまだ「若い」からね〜とか。
まぁ、確かに30代前半なんて若い。がそう言っておいた方が言った側の都合が良い。
でもあなただって違う人から見たら「若い人」なはずだ。
ましてや存在する世界では立ち位置が変わるもんだ。
人生での30代は若い。
競技での30代は若くない。
ん? 待って。若いの逆ってなに?
老い? なんだ若いの逆って。まぁ良いか。あとで調べよう。
話を戻すと、他にも、君は「トレーナー」なのに米を食べるんだね〜。糖質は摂らないもんだと思っていたよ。えっ? コーラも飲むの? とか。言われたこともあります。
いや、「トレーナー」全てが餌みたいな食事をしているわけではない。
米くらい食わせてくれよ笑
コーラも美味いんだから飲むときはあるよ。企業努力の恩恵は受けないとね。
つまり人は1500年前とやっていることは変わらないのではないかと思った。
自分のイメージにより都合の良いように解釈をして枠組みをくっつける。
それってそーゆーもんでしょ? って感じで。
イノシシもウサギも違う解釈にして今までのルールを通そうぜ! って感じで。
それによりイノシシは山のクジラと言われるようになりました。
最後に
だからと言ってレッテルを貼るのはやめよーぜということではない。
もはや1500年前からあるのであれば「文化」に近い気もしてきた。
つまり僕は今、「文化」という枠組みを使って都合の良い解釈をした笑
今回本を読んで納得できることや考え方が変わったので「レッテル」というモヤモヤしていたものが晴れてより生きやすくなったかもしれない。
僕は「アスリート」であり「トレーナー」であり「コーチ」であり「都会っ子」であり「ゆとり世代」だ。
全て事実であるから受け入れることも大事だと思う。
だけど言葉は道具だ。
「これだからゆとりは」「これだからアスリートは」「これだから田舎もんは」
要はレッテルも使い方次第ってこと。
同じ言い方だけど「これだから永田は」許せる。
ではまた次回っ!
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