#56 渋沢栄一先生に学ぶ「常識」を身につけるのに必要な3つの心得

こんにちは。永田です!

 

世の中でよく言われる「常識」という言葉。

誰の物差しを持って「常識」とするのか。

 

日本では常識かもしれないけれども、他の国では常識ではないこともたくさん存在しています。

ということは、自分家では常識かもしれないけれども、他の人の家では常識ではないということも国内ですら存在します。

 

つまり、僕が思うに「常識」と「文化」の分別がつかず、文化を常識と認識違いを起こしている人もいるのではないだろうかと感じています。

 

そんな中、今年の大河ドラマを賑わせている渋沢栄一先生の考える「常識」がおぉ〜なるほど。と思える内容で僕もその考えのもとに常識ある行動を心がけようと思いました。
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智・情・意

渋沢先生が言う常識とは

 

「知恵と情愛と意志との三者があってこそ、人間社会の活動もでき、物に接触して効能を現してゆけるものである」

 

と記されている。

つまりどれか一つでも欠けると社会への貢献は薄れ、物事の分別や、思考を最大限に使いこなせないと言うことだ。

 

僕はトレーナーでありコーチだ。

指導者として社会貢献できるトレーナー、コーチとは。上の3つを考えてみた。

 

まず知恵とはなんなのだろうか。

 

まずは「知恵」を絞るには大前提として「知識」が必要だ。

知識が備わるから、その知識を使って知恵を絞ることができる。

 

この知恵と言っているところがミソだと思う。

知識とは言っていない。つまり持っている知識で考えて知恵を出せということだ。

 

例えばアスリートは試合に向けてピーキングを合わせなくてはならない。

ピーキングを合わせるためにテーパリングというものが存在する。

 

このテーパリングを知識として知らなくては、ただ主観的に休んだりウェイトトレーニングのメニューも変えなかったり、食事もよく分からずに済ませてしまう。

 

テーパリングという土台知識があれば、アスリートの運動種類によって考えて知恵を絞ることが可能だ。

瞬発種目のアスリート、持続種目のアスリート、様々な運動様式があるので手法も変わってくる。

 

このテーパリングで3%のパフォーマンスが変化すると言われている。

つまり9秒58のウサイン・ボルト選手ならば、テーパリングを失敗すると9秒8くらいでフィニッシュをするイメージ。

 

多分9秒58はテーパリングに成功しているから、元の記録から約0秒2ほどタイムが縮まっているものだと思う。

 

3%ってマジででかい。

9秒8でフィニッシュしてたらオリンピックで金メダルは獲れず多分下位入賞であろう。

 

あくまでデータの話でアスリートはデータ以上のことを平気でやります。

 

そして5m00の棒高跳選手ならピーキングに成功すれば5m15、失敗すれば4m85となる。

わりかしリアルだ。

 

要するに知識を蓄え正しく使えば知恵となり常識に一歩近づけるというわけ。

だから勉強って大事なんだよ。

 

ただ知恵だけじゃダメよ! と先生は言っている。

 

「情愛」も必要だよと。

 

情愛とは何かというと、その知恵で人のことを自分のことのように考えるということ。

知識だけ持って、やれ、あなたの方法はおかしい! 間違っている! と罵っても情愛がない。

 

その人のことを思うのであれば、自分の知識を使って人を支えてサポートすることが大事だ。

 

知識を振りかざしてマウントを取ったり、私の方が正しいなどと捲し立てているのは自分のことしか考えていないということ。

つまり知識も道具と一緒で正しく使わないと意味がない。

 

それは包丁で野菜を切らず人を切るようなもんだ。

 

ただ情愛だけで知識がなければ、またその人を救うことはできず常識に欠けるということだ。

 

ダイエットで困っていてもトレーナーに栄養の知識がなければ、クライアントさんは辛い運動をひたすらに頑張るだけで結果が出ない。

地獄の始まりだ。

 出典:鳥山明「ドラゴンボール」より

 

栄養の知識が備わってこそ人を救えるトレーナーになるということでもある。

 

ただ、知識と情愛だけでも常識に欠けると先生は言っている。

 

最後に必要なもの。

それは意志だ!

 

この意志とは情愛を強固なものとするために、持たなくてはならない。

人間の情は動きやすく、感情に走りすぎると間違った方向へ行ってしまう。

それを防ぐために意志が必要である。

 

なるほどな…先生すげーな。これは真理だよな。

 

つまり、動きやすい情を抑制するのは強固なる意志。

 

ただ、やはり意志だけで知識が伴わなければ盲目となり固定概念に囚われ頑固者になってしまう。

 

ダイエットには運動こそ正義! つまり努力だ! 肉体が悲鳴を上げるまでやりきれ!

知識の伴わない根性論。

はい地獄の始まり。

 

 出典:鳥山明「ドラゴンボール」より

 

と、このようにクライアントさんに自分の意志だけ強くても果たしてそれはトレーナーとして、コーチとして社会貢献ができるか。と言ったら多分無理であろう。

 

つまりアスリートも同じことが言える。

つらい練習の時に手を抜いてしまおうと思うことは往々にして湧き上がってくる情だ。

ただこいつを押し殺せるものは「意志」

 

「意志」のない奴がツラい練習の手を抜き、競争社会神に手を置かれ「お疲れっ」と言われるわけだ。

 

同じく働きなくないなぁと湧き上がってくる情はたくさんあると思う。

では何のために働くのかという「意志」がないのであれば、これも社会貢献から離れていくということだと僕は思った。


最後に

智識、情愛、意志の三つが揃って「常識」と先生は言った。

その中で常識とは社会貢献だとも言っている。

つまり社会の役に立つ人間が常識ある人間ということだ。

 

どれか一つが欠けていても社会貢献にはなりにくい。

 

ということは常識というものは自分の中にしか存在せずに、人に振りかざしたりするものではないということだ。

 

要するに自分の生き様がはっきりしている人こそ常識人と言えるだろう。

 

何のために働くか理解し、多くの人を助け、豊富な知識を正しく使える人。

 

そうなるにはまず「意志」が入り口だと僕は思う。

 

こうした世の中が良いんじゃないか?(意志)

それに困っている人を救おう。(情愛)

よし、そのために勉強だ!(智識・知恵)

 

てことはいきなり勉強から入れないのも理解できるわ。

だって「意志」がないんだもん。

 

これってむずいよな。

 

勉強はかなり大事だから、お勉強しといてよ。

 

でも僕は幸い「意志」が見つかっているので勉強ができるようになりました。

 

みんなもこの記事を読んで常識について考えてみてください。

また指針にしても良いかと思います。

 

意識高い系だけどね笑

でも高いに越したことはない。

 

ではまた次回っ

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