こんにちは。永田です!
全日本実業団が終わり1週間経とうとしておりますが、SNSで毎日目にするのは、やはり引退を迎えた選手たちの発信でした。
前回の記事でも、どのようなアスリートにも訪れるものだと書きました。
それが遅いか早いかだけの違いです。
もちろん引退を迎える選手一人一人考え方は違うし思っていることは言えることと言えないことを本人の中で区別されているでしょう。
そして全日本に行けば必ずされる質問があると前回紹介しました。
「永田さんは何歳まで競技をしていましたか?」
これについて当時は言いにくかったことも今なら少し書けるかなと思い書いてみようと思います。
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目次
無所属コーチ不在野良犬アスリート
タイトルが暗い笑
ごめんなさい。事実ですので笑 今なら笑えます。が当時はこれがコンプレックスで仕方ありませんでした。
僕は大学を卒業後、陸協登録でアルバイトをしながらコーチ不在で競技をしていました。
その後流石に極貧すぎてパーソナルトレーナーの資格を取り競技を続けます。
しかし資格を取ったからといってすぐに収入が増えるわけではありません。
競技の実績とトレーナーの実績は別物です。
余談を少ししたところで先程の質問の答えですが、僕は28歳まで競技を行なっていました。2016年の全日本実業団のまでです。
ですので僕が目標に置いていたリオオリンピックの年までです。
東京オリンピックが2013年に決定していたため次は東京でしたが、永田はタイトルの通り極貧の野良犬アスリートだったので、心はかなり摩耗していました。
あと4年も頑張れないだろうと、2012年から記録も変わっていなかったのでこの先の4年で変わることができると、どうしても思えませんでした。
引退を決めて臨んだ最後の2016年の全日本実業団は開放感からなのか久しぶりに自分らしい跳躍ができて3位入賞でそれまで少し遠ざかっていた表彰台に昇ったことを今でも思い出します。
こんなもんなのかとも思いました。
あれだけ、もがいても遠ざかっていた表彰台に最後の最後に乗れた。
言葉で表現するのは少し難しいのですが、なんの因果なのか最後のご褒美なのか。
ただめちゃくちゃ嬉しかったので今までで一番の笑顔で表彰台に乗っていたのを覚えています笑
その時の優勝はジアン選手、2位は聖途選手。その2人よりも年長で下位の永田が笑顔では優勝していました。
引退が過ぎる瞬間は天井が見えた時や目の前の扉がどうしても開かない時。
あ〜このまま突破できずに惰性で競技を続けるのかなぁ。と思ってしまいます。
誰も惰性で競技をしたいわけではありません。
そして事実として結果を燻っている選手から冒頭のような質問を受けます。
そして話を聞けば僕と同じような境遇です。
コーチがいない
突破口がない
結果が伴わない
他にも聞けばもっと多くの要因があると思います。
ただ今思うことは、過去の自分も含めて自分でなんとかしようとしすぎていたと思います。
野良犬になり尻尾を振れなくなっていたんだなと今なら思います笑
もっと人を頼っても良いんじゃないかと客観的に見て思うと同時に、永田も頼ることが下手くそだったなと思い返しました。
元々競技者として実績があるのであれば良い時なんて勝手に伸びていくものです。
ただそれまでの手段では通用しなくなるタイミングが必ずきます。
その扉を開けるには今持っている鍵では開かない。
パニックです。今まで開いたのに急に開かなくなる。
ゲームなら開かない扉があるなら探さなくちゃいけないのか。とすぐに思えるのに笑
変化したいのに変化させる行程が心の底では怖いから、面倒くさいから、これでも跳べると頑固だったからアドバイスを頂いても実行しなかったんだなと当時を振り返って思いました。
引退は自分で決めたら良い
ちょっと前半は暗い内容になってしまいました。
仕方ないと言ったら仕方ありませんが。
ただ、引退については自分で決めれば良い。
これに尽きます。
死んだじいちゃんが93歳で死んだから自分もその年齢で死のう! なんて思わないじゃないですか笑
自分の競技人生なんだから自分で決めましょう!
もちろんチーム所属の選手はチームの事情があったりします。
でも所属が外れたからスパイクも置かなくてはいけないなんて思いません。
開かない扉があるのであれば鍵を探しにいけば良いし、エネルギッシュならば蹴り破っても良いと思います。ただ進めば進むほど扉も超合金製になるので蹴り破れなくなります笑
僕はたどり着いたことがありませんが、オリンピック選手なんかはロダンさんが作った地獄の門を開けているんだと思います笑
そして1人では無理だ! と思ったら誰かに頼っても良いと思います。
当時の僕は頼るのが苦手でした。
今思い返して分かることは、自分の船が今にも沈みそうなのにその船に人を乗せるわけにはいかない。と思っていました。
ただ! 今の僕が思うのは沈むなら沈んでもっと良い船を一緒に作れば良いじゃないとも思います。この船で行きたい! とも思うなら良いところは残し良くないところを変更するで良いじゃないとも思います。
出典:尾田栄一郎「ワンピース」より
実際に棒高跳以外にも幅跳の選手もサポートしていますが、競技特性や運動力学がある程度見え、言語化できれば客観的に事実を伝えることはできます。
そのアドバイスを表現するのは選手ですので、選手がしっくりくればきっかけを与えることは可能です。
コーチのアスリート時の実績も問われたりしますが、そんなこと言っていたら誰がボルトをコーチできるのか。
客観視やきっかけを得る。そのためにどんなトップアスリートにもコーチが必要なのではないでしょうか。と当たり前のことが今なら分かるのに…
野良犬だった僕は1mmも分かりませんでした笑
ただしどんなにコーチの知識があろうとも、選手が納得しないと現状はコーチは言っただけで選手は変わらないとも思っています。
そこはコーチの手腕が問われていると思います。
最後に
僕の結論としては、引退は自分で決めたら良いじゃない。です。
誰かの命日だから僕もこの日に死ぬ。と考えないのと同じだと思います。
色んな考えの方が存在しますが、僕は沈みそうな船に乗りたいタイプかもしれません笑
過去、来間選手は踏み切れないどん底の状態にありました。
沈むなら一緒に沈もうと乗り込む覚悟で向き合いました。
今は今の課題があります。競技人生は続けている以上ゴールはありません。
だからこそ苦しいことの方が多かったりします。
だって優勝は一人だけですから。
99.9%は世間的に見たら敗者です。
もちろん一人一人に目標があるので勝ち負けだけでは語れませんが。
ただ今年は多くのアスリートが引退を表明しています。
この1年で多くのことを考えたのだろうと想像しました。
僕も2015年に考えました。
来年オリンピックに行けなくても行けても永田は何者になっているのだろうか。
自分で考えて迎えた試合だったからこそ、最後に表彰台のご褒美をくれたのかもしれません。
そうなると辞めたくなくなっちゃうんだよな…笑
ではまた次回っ
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